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雑記

2011年3月11日 14時46分 宇都宮にて

2011年3月11日にマグニチュード 9.0の東日本大震災(東北地方太平洋沖地震)が起きました。僕は宇都宮でこれを体験しました。自分の記録として、この日の事を残しておこうと思います。

2011年3月11日

いつも通りの午後、自分のデスクに座ってPCで仕事をしていた。午後2時46分ごろ、揺れが始まった。最初は「また地震か、最近多いな…」って思ったが、揺れはどんどん大きくなり、いつまでも収まらない。クライアントから預かっているサーバが気になり、サーバを収容している部屋へ向かう為、部屋から廊下に出た瞬間、揺れがいっそう激しくなる。 もう、まとも立っていられない状態だった。廊下には高さ180cm程度の本棚が壁一面に並んでいる。「なんだこの揺れは…マズイんじゃないか?」と思っていると本棚が自分に向かって倒れてくる。考える間も無く片手で1つ計2つの本棚を支える。自分が支えていない本棚は目の前でどんどん倒れていき、廊下は本棚と書籍でメチャクチャな状態になる。揺れは激しく続き本棚を事もままならなくなってくる。でも、揺れはまったく収まる気配がない。心の中では「早く収まってくれ!」、「社屋が崩壊するんじゃないのか?」という気持ちが交互に何度も繰り返す。この時点で、もしかしてこのまま…と死を覚悟した。

地震後の社内

いったいどの位の時間がたったのか…自分の中では、かなり長い時間にかんじられた揺れが収まった。とりあえず自分のデスクのある部屋に戻ると…PCやモニタは全て机から落ち、キャビネットや本棚は倒れ中身が散乱し、観葉植物などが土と一緒に飛び散っている。天井に備え付けられたエアコンは外れ掛かっており、女性はガタガタと震えて半泣きで、本棚の下敷きになった同僚もいた。そしてまた揺れがはじまる。このまま建物に居たら危険と判断し、PCや暖房のコンセントを引き抜き、出口へ向かうが、廊下は…そう本棚と書籍が道を塞いでる。揺れが続く恐怖の中、本棚と書籍をどかし、なんとか外に出る。外は妙に静かで、まるで悪い夢でも見ているようだった。

周りを見回すと、近隣の会社の人たちも外に出ていた、そして揺れは不規則に続いている。しばらくすると、パトカーや救急車、消防車などのサイレンが聞こえはじめる。この時点で「これは何かとてつもない事が起こっている」と感じる。すぐに実家やツレに電話をするがドコモでもiPhoneでもまったく通じない。みんな考えることは同じで、大事な人に必死に連絡を取っているのだろう。そんな中twitterは正常に動いており、僕を心配してくれているツイートもあった。すごく嬉しかった。僕がフォローしている方は東京、千葉、神奈川、埼玉など南関東の方が多いのだが、ツイートを見る限りそちらでも、かなり揺れたようだった。地震の範囲がかなり大きい事が分かってくる。そして同僚のワンセグでTVを見ると、宮城で大地震が起こった事がわかった。社屋に戻っても揺れが続いて危険な為、サーバーが無事なのを確認後、火元や電気の確認だけ行い、一時解散となった。自宅が会社の近くの人間は確認後に一度会社の戻る事とし、各人自宅に向かった。

その日たまたま車で来ていたので、車に乗って自宅に向かう。ラジオは地震のニュースを伝えているいるが、その時点でも揺れは続いており、パーソナリティーも動揺しているようだった。どうやら、宇都宮は震度6強で、各所で停電が起き、信号などが停止している。また、道によっては陥没や壁の倒壊で封鎖されているということがわかる。自宅は車で5分なので、すぐに付いた。自宅は集合住宅で、住民の人々が、みな外に出て不安そうしていた。自宅の上に住む方に話を聞くと、食器などが殆ど落ち、割れてしまったとの事だ。

ここに来て改めて家の中の状態が心配になる。食器はもちろん覚悟していたが、机の上に置いたNEX-5とレンズ達、そしてREGZAがどうなっているのか…あまり中は見たくなかったが、中に入ると思ったよりも大丈夫だった。たぶん1階だったのが大きかったのだろう。それと本棚やシェルフ等全てに地震対策として天井との間に支え棒を付けていたのも大きかったかもしれない。気になっていた42インチのREGZAはTVボードにネジで固定していたこともあり倒れおらず、NEXやレンズもテーブルの端で停まっていた。部屋のリビングは壁一面本棚にしており、そこに収まっていた書籍や小物、スピーカーが落ちて散乱していたが、勤務先に比べると全くたいした事はなかった。ただし、最近少し集め始めたスノードームは全滅。しかもそれはテレビの上に置いていたので、配線に水がかかっていた。漏電や出火は起きていないは幸いだった。

家はとりあえず大丈夫そうだったので、ガス栓を締めて家を出る。ツレと実家に電話し続けていたが、やはり繋がらない。iPhoneでメールも送っているが、まったく返信がない状態だった。とりあえず、会社に戻る事にしたが、ラジオで信号機が停電の為、正常に動いていないと言っていたので、車は止めて歩いて行く事にした。

崩れ落ちたビルの壁

近所の小学校からはスピーカーで緊急警報が流れて、付近の住民と小学生達が校庭に集まっているようだ。近くにある東電では外に多くの職員が集まってなにか指示を受けているようだった。古いビル等は壁が崩れ落ち、塀が崩れてている家もあった。会社に向かう間も、電話を続けるが、全く繋がらない。するとdocomo端末にメールが届く。メールはツレからで無事なようだった。こちらもドコモからメールを行い一安心した。そして、公衆電話がある事に気付き、実家の固定電話に掛けると、あっさり繋がった。向こうも無事らしいが、震度5だったらしく、庭にある置物などかなり被害があった模様だ。だか、両親とも怪我も無かったようで安心した。次は友人達の事が気がかりになりメールを送りながら、会社へ向かった。

会社には既に同僚が数人戻って来ていた。各人の自宅の様子を聞くと、水道管が割れて水漏れした人もいた。余震が続くため、社屋には危険で入る事ができない。その間に同僚のワンセグを見ると、宮城県の津波の映像が流れていた。まるで映画でも見ているようだった。巨大な波が次々と街を飲み込んでいく…自分達が無事でいることが奇跡のように思えた。会社の中はメチャクチャなので少しでも整理をしたかったが、やはり余震が続くため、社屋に入るのは危険と判断し、自宅に戻る事になった。

途中で夕飯を買うためスーパーに寄ると、すでにかなりの人が来店しており、総菜等はまったく無い。とりあえずインスタントラーメンやチョコレートなど非常食を買っておいた。コンビニにも寄ったが、やはり弁当やおにぎりは全ては無く、さらにインスタントラーメンや菓子類さえない状態だった。しょうが無くそのまま家に向かうが、帰っている最中はずっと地震が起きた瞬間がフラッシュバックしていた。思い出して怖くなる訳ではないが、ひたすらあの時の光景が頭の中で繰り返す。

家に付くも、部屋を片付ける気力もわかず、ぼーっとTVの地震情報を見ていた。本当に日本が大変になってる事を改めて実感し、津波の映像などを見ていると胸が苦しく涙が出てくる。そうしている内に友人達からメールポツリポツリ届き始める。送信時間と受信時間にだいぶズレがあったが、みんなの無事が確認でき安心しや。その後ツレと電話が繋がった。どうやら向こうの地域は停電しているようだ。場所によっては断水もしているらしい。向こうの携帯の電源が持たないので、すぐに電話を切る。なにかスゴク疲れた…夕飯は食べずにそのまま眠り落ちた。

2011年3月12日

翌日はひたすら部屋の片付けを行った。大変だったのはTV裏の配線エリアに落ちたスノードームのガラスの破片の回収と、飛び散った水の処理だった。レグザやAVアンプ、PS3 を移動して、掃除をし配線を全てし直した。各機器に水が掛かっていたが問題は無かった模様だ。ただ大変だったのはこれくらいで、あとはひたすら、落ちたモノを元の場所に戻す作業。そして、耐震用の支え棒を増し締めした。途中、友人達とメールのやり取りをしたが、やはりみな大変なようだった。特に宇都宮の東の地域は酷かったようだ。墓石が全て倒れたり、屋根の瓦が崩れ落ち、壁が倒壊しているとの事だった。

スノードーム

写真クリックで拡大

割れたスノードーム

そうこうしている内にあっというまに日が暮れててくる。まだ食事を取っていないことに気付き、コンビニに向かう。車でラジオを聞くと宇都宮の各所で炊き出しを行っているとの情報が流れる。やはり宇都宮も厳しい状態なのだと実感する。コンビニ到着するが、どうやら荷物が届かないらくしく、弁当などは何も無い、スーパーやドラックストアは殆ど閉鎖している。さて、どうしたものかと思っていると、ツイッターでマクドナルドの話が出ていた。さっそくマックに向かうと営業していた。ちなみに向かいにあるロッテリアは休業中だった。クオーターパウンダーのセットを買って家に帰る。

ささっと食事を済ませ、引き続き自宅の整理作業を続けたが、ずっと地震が起きた瞬間がフラッシュバックを繰り返していた。途中、模型コンテストに出展していたイエローサブマリンから連絡が入る。残念な事に出展していた模型は地震で落ちて小さなキズ等が色々付いたようだった。これはしょうがない事だ。逆に店長の真摯な態度が嬉しく思えた。さらにツレから電気が通ったとの連絡が入った。スゴク嬉しそうだった。電気の大事さを改めて知った。僕の地域は停電も断水も無かったので、幸運だったと思う。

夜にはだいたい整理が終わり、気が付けば身体が筋肉痛になっていた。これは家の整理とかではなく、地震か起きた時、緊張した状態で本棚を押さえていたせいのかもしれない。その後はTVで地震情報をひたすら見ていた。津波による被害を見るたび、喪失感のようなものが襲ったが、みなが協力して災害に立ち向かっている姿や、海外の国々が支援を決定していく報告には胸が熱くなった。 地震後ツイートする余裕は無かったが、TLのみんなの無事も確認できるし、有益な情報や、勇気が出るツイートも多かったので、Tiwtterはずっと見ていた。片付けも気持ちも落ち着いてきたので久しぶりにツイートし眠りについた。


以上が、3月11日、12日の記録です。軽いパニック状態だったので全て正しい記憶かは自信がありません^^;尚、翌日(13日)にTiwtterでみなさんから返信をいただきました。すごく嬉しかったですね。色んな意味でTiwtterの良さを再確認しました。そして社内の整理も1日で完了し、僕のデスクは地震前より綺麗なりました(笑)

僕が今まで生きてきて、これほど死を感じた事はありませんでした。大きな災害に遭遇した事がありませんでしたので、まさかこんな事が起こるとは夢にも思っていませんでした。 現在も福島原発の問題や余震が続き、いつ何が起こるか分からない恐怖があります。 このような大きな災害は今まで自分にとっては遠い存在でしたが、今ではいつ自分に降りかかって来てもおかしくない身近な恐怖に感じます。

僕が出来ることは限られていますが、今後は少しでもこの災害の復興に役立てるように考え、行動していきたいと思います。そして、今も救助を待っている方々や避難所で苦しい生活を続けている方達が無事である事を祈ると共に、失われた多くの尊い命にご冥福をお祈り致します。

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COMMENT

UTANさんご無事でなによりです。

当方大阪ですがすこーし長い時間揺れただけでなんの被害もありません。ちょうど模型つくってまして不安定な立ち方をしていたMSたちでさえ倒れませんでした。

今回被災された方々、亡くなられた方、行方不明の方の安否を思うと心痛でなりません。

隣県ですが阪神大震災を少なからず経験しておりますのでとても他人事とは思えません。

大変なことが起こっている。今後も二次三次被害は拡大することでしょう。復興も困難を極めることでしょう。
頭では理解している。なのに、こちらはあまりにもいつもと変わらない平和な日常であるため、不思議な感覚、と言いますか、報道を見ていても時々「これは現実じゃなく映画のCGじゃないのか?」と錯覚におちいる時があります。

とりあえず自分にできることは何か?足りない頭で今考えている最中であります。

被害にあわれた皆様に心よりお見舞い申し上げるとともに、犠牲になられた方々とご遺族の皆様に対し、深くお悔やみを申し上げます。

宇都宮にお住まいのUTANさまのご無事が確認できてよかったです。大変失礼いたしました。

jonipon2011年3月16日 00:18

>>joniponさん

ありがとうございます。

阪神大震災を経験なされてたんですね。

宇都宮は震度6強でしたが、僕の周りでは、それほど酷い被害はありませんでした。

ただ、現状はガソリンや食料が手に入らない状態が厳しいですね。

あとは、やはり福島原発が心配です。

※コメントを投稿した記事を変更させて貰いました。

UTAN19852011年3月16日 01:03